音楽プロデューサー、キーボーディスト。Mr.Childrenをはじめ、サザンオールスターズ、レミオロメンなど、数多くのアーティストのレコーディング、プロデュース、作・編曲、ライブ演出などを手がける。岩井俊二監督と『スワロウテイル』('96)、『リリイ・シュ シュのすべて』('01)、篠原哲雄監督と『深呼吸の必要』('04)、『地下鉄(メトロ)に乗って』('06)など手がけた映画音楽も多数。2003年にMr.Childrenの櫻井和寿と中間法人「ap bank」を立ち上げ、環境プロジェクトに対する融資を行うほか、2005年より野外音楽フェス”ap bank fes"を開催するなどの活動を行っている。
お気に入り
5歳からクラシックピアノを始めた。兄の影響もあって多くの音楽、特に洋楽を聴いて育った。高校の頃には、ジャズ理論なども自ら学ぶ。後に、バークリー音楽大学から帰ってきた先生にバークリーメソッド方法で音楽理論を個人的に学んでいた。バンドを組んで自作曲を演奏したり米軍キャンプ回りをする一方、20歳の頃にはスタジオミュージシャン(キーボーディスト)としても活動を始める。バークリー音楽大学に行きたい気持ちもあったが、日本でもある程度学べたことと仕事が増えたことで、実践で経験をつけていった。1977年に廣田龍人が率いる「RICKY&REVOLVER」の結成に参加(1984年脱退、後任キーボーディストは吉俣良)。1980年には、業界プレゼンライブ「第1回原宿音楽祭」に出場し優勝。その頃、杏里へ の楽曲制作を依頼され初めて作曲を手掛けた「思いきりアメリカン」(1982年4月21日)がヒット。これを機に作曲家としても活動を開始(この曲以外の 杏里への提供楽曲では、作曲のみならず、すべて作詞も手掛けていて、当時は杏里のサポート・メンバーでもあった)。またこの時、杏里のアレンジをしていた佐藤準の薦めでアレンジャー業も始めた。
25歳の頃、大村憲司との出会いをきっかけに井上陽水、坂本龍一、高橋幸宏、大貫妙子など数多くのアーティストの楽曲やライブにキーボーディストとして参加したり、松本隆・筒美京平コンビの楽曲の編曲を手掛けるなど、あっという間に引っ張りだことなる。
1988年、1989年には、小林自身が歌っているデモテープを聴いた大貫妙子の勧めで「小林武史」としてソロアルバムを2枚出したが、ほとんどプ ロモーションが無かったこともありセールス的には大きな影響を生み出せなかった(「このころ、すでに女性ボーカルを探していたが見つからなかったので自分 が歌ったが、難しかった」と語っている)。
1987年に、桑田佳祐の1stソロシングル「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」(1987年10月6日)、2ndソロシングル「いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)」(1988年3月16日)のアレンジに参加し、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』(1988年7月9日)と共に当時あまりメジャーではなかった小林が高く評価されるきっかけとなった。「このアルバムのシェフは小林君、自分は素材として気持ちよく仕事ができた」と桑田は語っている(桑田著『ただの歌詞じゃねえかこんなもん〜』より)。
サザンオールスターズの活動再開後の初シングル「みんなのうた」(1988年6月25日)からサザンの編曲にも参加するようになった。続くアルバム『Southern All Stars』(1990年1月13日)でもアレンジに参加し、桑田が監督した映画『稲村ジェーン』の音楽監督も務めた。収録曲の「真夏の果実」「希望の轍」はサザンのライブでは必ずと言っていいほど歌われる曲となった。翌1991年は、原由子の2枚組ソロアルバム『MOTHER』(1991年6月1日)のプロデュース、編曲を手掛けた。
この頃に桑田らとSUPER CHIMPANZEEという(小林曰く“冗談のような”)バンドを組んで活動。シングル「クリといつまでも/北京のお嬢さん」をリリース、日清パワーステーションで洋楽、NHKで邦楽のカバーライブを行った。このライブの模様は桑田佳祐『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』(DVD/VHS/LD)で観ることが出来る。
1992年は「涙のキッス」「シュラバ★ラ★バンバ」(ともに1992年7月18日)などを含んだ『世に万葉の花が咲くなり』(1992年9月26日)のアルバムプロデュースに参加。その後シングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」(1993年11月20日)を最後にサザンの音楽活動に参加することはなくなった。
この頃、ほかにプロデュースを手掛けていたアーティストに大貫妙子や渡辺美里、小泉今日子などがおり、作曲・編曲を手掛け小泉唯一のミリオンセラーとなる「あなたに会えてよかった」(1991年5月21日)で第33回日本レコード大賞編曲賞を受賞。後に「この曲でメロディーメーカーとして世間に認知されたことが大きな自信になった」と小林は語っている。
小林が「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」とメジャーデビュー時(1992年)からプロデュースしていたMr.Childrenは当初なかなかヒットしなかったが、アルバム『Atomic Heart』(1994年)の頃より大ブレイク。1995年にはかねてよりデビューさせたかったAKKOとギタリスト・藤井謙二をMY LITTLE LOVERとしてデビューさせる。楽曲のほとんどが小林の作詞作曲によるもので、シングル3作目の「Hello, Again 〜昔からある場所〜」(藤井との共作)、1stアルバム『evergreen』共に200万枚を超える大ヒット。ヒットメーカーの名を不動のものとし、当時trfやglobeのプロデュース業で大ブレイクしていた小室哲哉とイニシャルが同じ事から「TK時代」と呼ばれた。MY LITTLE LOVERはその後以前ほどの売れ行きを見せなくなったが、Mr.Childrenは依然として大きなセールスを続け日本を代表するアーティストとなった。
また1995年には、桑田とMr.Childrenを共演させたシングル「奇跡の地球」を発表。また岩井俊二監督の映画『スワロウテイル』(1996年)の音楽監督を務め、同映画の主人公を演じたCharaがボーカルを務める架空のバンド・YEN TOWN BAND名義で出したシングル「Swallowtail Butterfly〜あいのうた〜」(1996年7月22日)、アルバム『MONTAGE』(1996年9月16日)をヒットさせた。岩井とは、映画『リリイ・シュシュのすべて』(2001年)でもタッグを組み、映画と連動した架空の歌手・Lily Chou-Chou(役は、Salyu)の作品をリリースした。
1996年、My Little LoverのボーカルのAKKOと結婚した。 1998年、ソニー・ミュージックエンタテインメント内のSony Music Associated Recordsに「ZONE LABEL」を旗揚げし、Woman's Soul・MANGAHEAD・Lily Chou-Chouをプロデュースするも2年で休止する。
2001年に桜井和寿、田原健一とAcid Testとして活動したことがきっかけとなり、2003年に桜井、坂本龍一らと共に環境プロジェクトへの非営利融資機関「ap bank」を設立。
ap bankの活動資金や融資金を集めるために小林と桜井を中心としてBank Bandを結成。ライブ活動やフェスの開催やCDとDVDのリリースなどを行っており、これらの収益はすべてap bankの活動資金や融資に充てられている。(詳細:リリースに関してはBank Band、フェスに関してはap bankの各ページを参照)
ap bankの活動に関連して雑誌『SWITCH』に連載を持ったり、「ap bank dialogue」と題した講演を行うなど、その活動は多岐にわたる。世界的にも活動が認められつつあり、2007年2月にはロンドンでアル・ゴアと対談、10月にはアメリカの雑誌『TIME』の特別号『Heroes of the Environment(環境問題の英雄たち)』(2007年10月29日号)にて小林と桜井、ap bankの活動が紹介された。この号に掲載された日本人はほかにトヨタ・プリウスチームのみである。2008年5月31日にはさいたまスーパーアリーナで行われた「VIDEO MUSIC AWARDS JAPAN 2008」に桜井と小林がサプライズ出演し、ap bankでの活動に対しU2のヴォーカリスト・ボノから「Rock The World Award」を授与された。
(本文に登場するアーティスト以外)
アイリーン・フォーリーン、立花理佐、田村英里子、観月ありさ、高野寛、安田成美、BEGIN、牧瀬里穂、鈴木祥子ほか
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